Trip to Liberia, West Africa11 . - 26 March. 2006Trip for Fllow-up Survey of the Liberian - Japanese Friendship Hospital 日本・リベリア友好母子病院のフォローアップ調査 |
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Narita - Zurich - Brussels - Monrovia日本・リベリア友好母子病院は23年前に完成したが、10年以上にわたる戦火のため 修理を必要としている事から、その確認のため出張した。 コンクリート躯体の品質がかなり良い事が確認できました。当時の工事関係者に感謝いたします。 |
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11 March |
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LX169/4B/A340 Dep. NRT11:00 |
さすがスイス航空 |
Arv. Zurich15:55 |
シンプルなイメージのズーリッヒ空港
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LX788/2F/Avro RJ100 Avroliner Dep. Zurich17:35 |
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初めて乗る機体 |
ズーリッヒ上空 |
ブラッセル上空 |
Arv. Brussels18:55 |
空港地下から国鉄に乗り中央駅向かう |
ブリュッセル中央駅近くでムール貝を食べる。 |
12 March |
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朝のブラッセル空港 |
SN245/7A/A330-300 Dep. Brussels 11:50 |
機内のシートレイアウトはゆったりとしている。 |
ブラッセル上空 |
パンが旨い |
アフリカ大陸が見えてきた |
モロッコ上空 |
北アフリカの山には雪があった。 |
サハラ砂漠上空 |
フリータウン上空 |
途中、フリータウンに寄る。 |
Arv. Monrovia20:15 |
13. March |
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日本のNGOを訪問してリベリアの治安状況を聞く |
23年後の日本・リベリア友好母子病院 |
完成時の銘版 |
古いベッド |
内部はタイル仕上げのおかげで比較的綺麗だった。 |
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病院で唯一のハイテク機械 |
UN設置の予備の自家発電機 |
携帯電話会社は立派で繁盛している。 兵隊も携帯を持っている |
病院は敷地内の井戸水に頼っている。 |
市内は車と人であふれている。 |
UNMIL本部 建物の所有者はリビアと聞いている。 |
14 March |
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ロケット弾でやられた屋根とコンクリート |
アルミ屋根は何とか持っていた。 |
海岸が近いので錆がひどい |
手術室は良く使われていた。 |
分娩台がが無いので一般のベッドが使われていた。 |
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分娩室の看護士さん |
天井がかなりの箇所で壊れていた。 |
病院の屋根にとまった鳥達 |
レバノン人が経営しているレストラン |
私が使っていた現場事務所はAIDS支援団体の事務所として使われていた。 |
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15 March |
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タイル仕上げのおかげで23年経っても綺麗だ。 |
無線ランがあるので、このレストランに頻繁に通うことになった。 カサブランカに出てくるようなオーナーがスーツ姿で出迎えてくれる。 ここに迷彩服姿の米国の男女の兵隊達が食事をしていることもある。 |
1万5000人いると言われているUNの車が目立つ。 |
病院のアルミサッシュも塩害でダメージが大きい。 |
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16 March |
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主な建物は破壊されていて、23年前の街の土地勘を思い出すのに困難を極めた。 |
ブラッセル航空の係員はおしゃれである。 |
1964年1月4日完成の銘版があるプロテスタント教会前の路上マーケット |
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制服を着た学生が目立つ |
レバノン人経営のモンロビア一のスーパーマーケットは健在だった。 |
公共事業省から真新しい墓が見える。 |
かって打合せで使った事のある公共事業省の建物は戦争で破壊されていた。 |
JFK病院にはUNMILが設置した2台の大型発電機があった。 |
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17 March |
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裏通りは土のままだった。 |
インド系の建材販売会社 |
街は路上マーケットがあふれている。 |
破壊された建物が目立つ。そこにも人が住んでいる。 |
UNMILが運営している図書館ではインターネットが使える。 |
UNMILの装甲車が随所に配置されている。 |
電機資材販売会社の店の中 |
両替屋は写真を撮ったら、撮り直す様に催促した。 |
テントを張った店 |
過ってのインターコンチネンタルホテルも破壊され、難民が住む |
UNMIL本部は町の中心にあり、良く目立つ。 |
逗留したホテルの発電機はたびたび故障する。 |
18 March |
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移動したホテルにはプールがある。 |
どこも路上マーケットだ。 |
病院の鉄部は完璧に錆びていた。 |
一見すると治安状況は問題が無いように見えるが。 |
比較的評判の良いベイルートレストラン。 |
水道が機能していないので給水車に頼る。 |
19 March |
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日曜日はビーチでのんびり モンロビアのプライベートビーチは綺麗だが、急に深くなっていて泳ぐには危険である。 |
中国の援助した競技場も湖南省が担当で改修工事を行っていた。 |
国防省の建物も破壊されていた。 |
街角の少年はカメラを向けると、じっとシャッターを押すまで気を付けの姿勢をしてくれた。 |
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20 March |
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魚売り |
病院の井戸 |
無線式公衆電話 |
街はずれの空港へ行く分岐 |
空港への道 |
破壊された国際線ターミナル |
21 March |
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街は田舎からの難民で人があふれている。 |
どこでも路上マーケットがある |
1980年代に破壊されたままの迎賓館 |
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22 March |
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良く通った映画館も破壊されていた。 |
スパーマーケットの2階はカフェがオープンした。 |
港には慈善団体の病院船が停泊している。 |
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23 March |
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ホテルからの眺め |
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24 March |
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現在の保健省 |
勝手は綺麗だった街並み |
路上マーケット |
オブジェのような破壊された建物 しかし、ここにも難民は住んでいる。 |
正面に見えるのは過ってのインターコンチネンタルホテル |
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ホテルの入り口では難民が店を開いていた。 |
破壊されたままの迎賓館 |
ギニー人のビーズ売り |
活気であふれている街 |
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アフリカ初の女性大統領エレン・ジョンソン=サーリーフの看板。 |
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帰国前はいつものレストランで時間待ち |
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破壊された国防省の建物 |
破壊された保健省の建物 |
UNの車が目立つ |
国際線ターミナルが破壊されたので昔の国内線が使われている |
ドライバーのチャーリーはオーストラリア留学が夢だ |
SN236/4D/A330-300 Dep. ROB19:55 |
25 March |
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朝食 |
Arv. Brussels06:05 |
LX787/3F/A320-214 Dep. Brussels10:00 |
黒パンと葡萄 今でも思い出す味 |
Arv. Zurich11:15 |
18日に乗った小型エンジン4発の飛行機 |
エーデルワイス航空? |
ズーリッヒ空港 |
LX168/9A/A340 Dep. Zurich13:00 |
マルタ航空 |
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26 March |
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成田が見えてきた |
Arv. Narita08;55 |
帰国はバスとはモンロビアと変わらなかった。 |
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