Trip
to The Republic of The Marshall Islands
10-27.Nov.2002
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The
Project for Improvement of The Majuro Hospital
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Tokyo - Guam
10.11.2002
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CO007/3E便にて3時間30分のフライトでほぼ予定通り午後9時40分頃グアムに到着。
日本とは−1時間の時差だ。
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明日のフライトコースはGuam-Chuuk(Truk)-Pohnpei-Kosrae-Kwajalein-Majuroと途中4ストップと8時間30分の強行軍だ。
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Guam - Majuro
11.11.2002
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朝食は空港内できつねそばを食べた
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これがこれから乗るCO756/2E。ところがこの飛行機は離陸直前にエンジントラブル
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航空会社は代替えの飛行機を待つ間、ドリンクのサービスをすばやく用意した。
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2時間遅れでやっとグアムを飛び立つ。
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Chuuk(Truck)
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TRUCK島に向かう途中の雲
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トラック島に近づく。幻想的な眺めだ
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トラック島、Chuukのターミナル
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湾内には太平洋戦争当時と思われる船舶の残骸が有る。
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Ponpei
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ポンペイに近づく
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ポンペイのターミナル
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Kosrae
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Kosraeに近づく
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Kosraeの素朴なターミナル
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Kwanjalei
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マーシャル諸島のKwanjaleiに近づく
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Kwanjaleiは米軍に基地だ。空港にはたくさんアンテナが有る。
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空港の格納庫
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3階建ての立派なターミナルと管制塔
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Marshall(Mjuro)
途中で時間を調整し30分遅れでMajuroに到着
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宿泊するOutrigger Hotelの入り口ホール |
Map of Majuro Atoll |
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Majuro
12.11.2002
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前面は総ガラスばりの官庁の建物。
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日本の魚船員が良く来る中華レストランの窓から見た港。メニューは英語と日本語で書かれている。
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ホテルの部屋から見た眺め
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日本の無償援助で出来た高校の体育館
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ホテルの前にある24時間営業のコンビニ
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宿泊しているOutrigger
Hotel
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かぼちゃのもち
なかなか旨い
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Majuro
13.11.2002
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マジュロ病院正面入り口 |
マーシャル諸島共和国の国旗 |
プロジェクトの実施に向けた書簡に署名 |
署名後握手を交わす保健大臣とミッションリーダーのJICA朝熊氏 |

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診察を待つ外来患者
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点滴を受けている子供
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韓国レストランYoon's。なかなか旨い。日本と同じモーニングサービスがある。ほとんどのレストランには日本語のメニュがある。
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Majuro
14.11.2002
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マジュロ病院の救急車
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官庁舎の裏側のコンクリート壁は湿気で黒カビが生えていた。
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昔、桃太郎と言う名の日本人の歯医者がいて、その子孫の経営
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宿泊しているホテルのベランダの壁のむき出しになっている鉄筋。
塩害か?
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Majuro
15.11.2002
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マーシャル国の島と環礁。マジュロは右端下から3番目の環礁 |
オーストラリアの講師による看護教育 |
質素な保健省の建物 |
病院裏手の小学校 |
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電力の受電は外部置きのトランスが一般的だ。
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ココナッツ
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ホテルの部屋からの夕暮れ時の眺め
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Tide
Table Restaurantのサシミ。ものすごく旨い。
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Majuro
16.11.2002
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Majuro環礁の西端のLauraに向かう。
両脇はすぐ海岸とは信じられないだろう。
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Lauraの浜辺。遠くに環礁の続きが見える。
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海軍永田少将の大正7年の碑。
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太平洋戦争の戦没者慰霊公園
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建築家 菊竹清訓、名盤デザイン 尾川宏、施工 東海興業株式会社らの手によって完成
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市内に戻る道路。両脇は緑で溢れているが、両脇はすぐ海岸。
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Majuro
17.11.2002
一日かなり強い雨。写真無し
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Majuro
18.11.2002
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泊まったホテルの前は太平洋戦争のときは日本軍の滑走路だったマジュロのメイン道路。 |
日本の援助で建てられた体育館。マーシャル人はバスケットが好きだ。 |
モーニングサービスのメニュー。日本と同じメニューも見られる。私は韓国料理を食べた。 |
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ちょっと古いが2階に粋なレストランがあるRREホテル。 |
日本語OKのカラオケスナックの上海人家 |
中国系スーパーで売っている日本の沢庵。 |
日曜日のひとときをダンスを楽しむ子供たち |
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Majuro
19.11.2002
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病院前のソフトボール場。病院の整備計画でこれをつぶすわけにはいかない。 |
アウトリガー・ホテルのダイビング用ボート |
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Majuro
20.11.2002
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マーシャルではミラーがポピュラーだ |
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Majuro
21.11.2002
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ホテルのダイビング用ボート |
ロングアイランドのレストランから見える海。かなりいい眺め。 |
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Majuro
22.11.2002
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11月13日の書簡署名の記事
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部屋から見えた大型のヨット。グアムではボンペイでニュージーからくるヨットに乗ると言う日本人の一行に会ったが、うらやましく思った。 |
マジュロ病院で働く青年海外協力隊の看護婦さん。 |
ロングアイランドのケーキ。
日本で修行したシェフが作っているので日本で食べるかなり良い部類の味だ。 |
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Majuro
23.11.2002
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Yoon's
RestaurantのKalbiTangは大変旨かった。マジュロではご飯が大変旨い。 |
病院長のSandy。プランニングの打合せでかなり疲れた模様。病院の改善は何度やっても疲れる仕事だ。
私はプリンターのトラブルもあり、20日から21日にかけては一睡も出来なかった。 |
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Majuro
24.11.2002
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体育館でバスケットを楽しむ人々 |
ダイビングとフィッシングのクラブ。5人乗りのフィッシングボートを1日貸切は400ドル程度。 |
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ずらっと並んだアメリカ製のキッコーマン。どこのスーパーにもある。 |
日本のタケヤ味噌。味噌まであるのには驚く。 |
移住したビキニ環礁の人々のタウンホール |
裁判所
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Majuro
25.11.2002
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マジュロの高校生
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官庁舎の屋上から見たマジュロのメイン道路。元日本軍の滑走路 |
官庁舎から見たマジュロ病院全景。 |
マジュロ環礁東端から望む。引き潮のときは歩いて渡れるそうだ。 |
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Majuro
- Guam
26.11.2002
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majuro空港のターミナル |
出発カウンター |
みやげ物屋 |
自然通風の出発ラウンジ。ベンチ以外何もない。 |
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出発ゲート |
搭乗するCO957/3B |
太平洋路線とは大分グレードが違う食事 |
トラック島のChuuk国際空港 |
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Chuuk出発後見えた島影 |
搭乗したCO957便 |
グアム国際空港到着ロビー前にある銅像 |
グアムの夜はクリスマスの準備が出来ていた。 |
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Guam
- Narita
27.11.2002
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宿泊したOutrigger
Hotel Guam。空港の送迎サービスが便利 |
定刻にゲートを離れるCO006/2F |
グアム上空 |
規則正しく並ぶ分譲住宅か? |
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コンチネンタル航空のナプキン |
銚子上空
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九十九里の風車
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成田空港の格納庫群
15年前、ここの建設現場にいたので懐かしい。 |