日光東照宮の空間構造

 「未来の都市はお前たちの意のままになろう。 だがそれは、都市の精神的な意味においてではなく、都市が見せるであろうところの顔容(カンバセ)、都市の表情を造形するであろうところの顔容(カンバセ)においてなのだ」

サンテ=クジュベリ、城砦より

 今日の状況において、人の、人としての存在を可能ならしめる生活空間の構成を問うときに、私達は「故郷」と言う魅力的な言葉を無視することは出来ない。 その言葉は、日常的な言い回しでしばしば感傷的に使われているが、しかし、その言葉の中に人間の「住むこと」の様々な様相があると思われる。 O・F・ボルノーは、故郷の概念を人間の新しい庇護性(Geborgenheit)注1)の概念へと展開して、建築術の真価は空間的秩序の形態付けと意味を持つ周囲空間の徹底的形態付けにおいてのみ、すなわち「生」の空間の精巧な形態付けに基づいているのであると論じ「この空間の秩序は、個々の人間や個々の家族の<生>の空間を越えて、村落や都市にまで、さらには文化によって形態付けられた地域まで、ついては、われわれがもっとも広い意味で故郷と呼んでいる、形態付けら秩序付けられた環境(ウムラウト)まで、拡がっている」注2)と述べている。 M・ハイデッガーは「建てること」(Bauen)と「住むこと」(Wohnen)という二つの概念の内的結合に着目して、人間一般は、とどまっていることにおいてのみ真の存在を実現することができるとし、空間の固有性を事物が場所を形成することに求める。注1)

 建築術への問いを創めるにあたって「建築的知覚」や立体幾何学についての研究よりも、人間環境の分析を通した空間概念論への思考は本質的なものであると考える。 しかし、建築の本質としての空間は、単に抽象的な概念へと解消してしまうようなものではなく、事物によって構成された実体である。 それは、人間の「生」によって深く意味づけられて在るのであり、私達の普遍的定位、つまり「世界内存在」を可能ならしめる必要な部分を構成しているのである。 C・ノルベルグ=シュルツは、建築的空間を人間の実存の一つの次元であるかぎりでの空間注3)であると言明している。

 一方、建築的空間は人間の「実存」注3)という意味で日常的なる生活空間を越えて在ることは、歴史的建造物によって哲学的に説明することは出来ると思われる。 それらのほとんどが、ある民族、ある地域の固有性を形成する「場」として、又、個と全体を結ぶ「中心」注4)として、故郷性ともいうべきある種の庇護性を私達にイメージさせる。 ついには、地域全体を包み込む庇護空間を現成せしめることになる。 これは、しかし、全人間的に解明されなければならない問題である。 小論の目的は、その問題における、建築術の位置、 −しばしば近年、ランドスケープ(Landscape)注5)という概念で引用される言葉によって導かれる。−小論の目的は建築的空間の構造とその意味を、問うことに在るが、ここでは「日光東照宮の空間」について考察を進めるものである。

 このような限定は、私達が住む今日の都市的状況において、より積極的な意義を持つものと思われる。 家康の遺言「・・・日光山に小さいお堂をたてて勧請せよ。 関八州を守る鎮守になろう」注6)に端を発し、元和の造営を経て、寛永に造替された姿をほぼそのままのこしている現在の日光東照宮は私達固有の遺産である。 それは単に当時の政治的背景として生まれた建築である、と言って片付けることや、これまでの雑多な評価をふるいにかけたとしても、建築術を本質へと問うことにはならない。 あたかも砂漠の中のような地を駆け巡った覇王にとって、死に際してはじめて、持続的な存在を獲得することが出来たのであろう。 かの地は戦場より日光の山々の姿を眺めるだけで、生前一度も訪れることの無かった「地」であることは興味深い限りである。

 歴史的存在である私達が「砂漠」の中に構築した設営地に、つまり科学技術が生み出した物質文明の中に埋もれてしまい、ついには「砂漠」と形容される今日の都市的状況を許す結果となったのである。 すなわち、サン=テクジュベリの「砂漠の中の都市」注7)から、都市自身を砂漠と化したのである。 そこには私達、現存在を結びつけて円環を創る「中心」(Centre)も「方向」(Direction)も、そして、ハイデガーが「<住むこと>の根本的な特徴は、この<いたわること>(Schonen)である」注1)と強調するところの「囲いをする」(Umfrienden)という言葉、すなわち「領域」(Domain)も存在せず、単なる記号があふれた均質化したイメージの中にあるにすぎない。 覇王が直面した「砂漠」よりも、今日の状況は悲劇的なため、直截的ではないが日光の霊廟は、巨視的にも、微視的にも、私達に故郷性ともいうべき被護空間をイメージさせるであろう。

 しかし、それは、C・ノルベルグ=シュルツの言明するところの実存の一つの次元としての建築的空間の範囲内であろう。 具体的には、小論は日光東照宮の空間における、建築的空間の構造と、その建築的意味について考察することが当面の目的であるが、究極的には建築的空間における「部分」と「全体」を関連付ける統一的な現象の考察が目標である。

 このような目標への見通しをつけること、このような目論見の中に含まれていて、そのために必要になるいくつかの考究、そしてこの目標に達する道程、 −これらについては、序論的に解説を加えておく必要が在る。

1974年2月 古池廣行


注1) O・F・ボルノー著、須田秀幸訳、実存主義克服の問題 −新しい被護性、東京、未来社
注2) 前述書、P217参照
注3) 実存・空間・建築 C・ノルベルグ=シュルツ著
注4) 前述書、第2節参照
注5) 日本語では景観と訳されることが多いが、ここでは「世界」すなわち環境世界を示す
注6) 東照宮P35、大河直弓著 鹿島出版
注7) サン=テクジュベリ著、山口庸一郎 訳